現在の地図情報を含めた登記情報のルーツは明治時代初頭の地租改正に遡 る。宮崎県の地租改正は昨年の大河ドラマ「西郷ドン」でご覧になった通り、 西南の役が宮崎県を縦走、蹂躙したことにより明治7年4月に開始され明治14年7月に完了したことが「府県地租改正紀要」(地租改正の報告書)に記載されている。 実際に登記簿の前身となる明治15年3月発行と明記された「地券」を見たことがある。地券はその後明治22年~25年に「土地台帳」と「登記簿」に変更され、昭和35年の不動産登記法の改正により新たに表題部が設けられ、法務局での登記簿による一元管理がなされるようになった。その後、平成4年からは宮崎地方法務局佐土原出張所を皮切りにコンピューター移行作業が始まり、平成12年に県内の登記簿のコンピューター化が完了した。 字図(公図とも云う)は、最初に明治7年当時に作られたものは「改租図」 と呼び、その出来が芳しくなかったようで、明治20年当時に再度地押丈量が行われ、この際作られた字図を「更正図」と呼んでいる。いずれも美濃紙を使って作られ、分筆登記の際は直接ガラスペンで書き入れを行い、合筆登記の際には、合筆部分にさらに美濃紙を貼付する方法で、原図そのものを利用していたが、痛みが酷くなり昭和40年代末から順次マイラー図というプラスチックフィルムに書き換えがなされた。その後、平成元年から地図整備作業の中で一筆対査という字図と登記簿の照合を行ったのち、地図(字図)のコンピューター化が支局、出張所毎に順次行われた。平成13年からは、登記簿、地積測量図と共にインターネットによる登記情報提供サービスが開始された。 地積測量図は、昭和35年の改正により登記簿の一元化作業が完了した法務局から、順次土地分筆登記、土地地積更正登記、土地表示登記の際に提出された地積測量図が保管されている。ここで注意すべきは、元々全ての土地の地積測量図が保管されている訳でないことと、保管されている地積測量図も作製された時期により測量の方法、法規制等も違っており、程度の違いはあるにせよ現況が違うのか?測量図が違うのか?という疑問が常にある。 以上が登記制度の変遷の概要だが、この登記の歴史を振り返るといつも感じ る2つの想いがある。 1つ目は、県内でも区画整理、耕地整理、国土調査等を経ていない土地が未だ に2割程度あり、その地域は見た目はコンピューター化によって表面上は正確 に見えても、残念ながら根幹は明治時代に調査されたデータであること。 2つ目はこの仕事に携わってこられた職員の方、先輩諸兄に対して明治時代の データが未だに正確に保管、活用されている事への称賛である。同じ国での消 えた年金問題との違いを強く感じる処である。